Aのこと

高校時代の友人に、何に苦しんでいるのかは分からないが、いつも何かが苦しそうな女の子がいた。彼女は普段、美しくてリーダーシップのある女子たちのグループにいるのだが、「苦しい季節」がピークに達すると、ひとりでそっと私のそばにやってきて数週間ほどの時間を私と一緒に過ごすのだ。

よくふたりで授業を抜けだして校舎の裏庭に夕日を見に行った。(定時制高校だったので、春は二時間目の終わり頃にちょうど真っ赤な夕日が見える)
そのあとは薄暗い道を歩いて、ほの明かりの灯った体育館の裏を通り、図書館棟に入って奥の自習机で他愛のないおしゃべりをした。
体育館からはバレーボールが跳ねる音と、賑やかな歓声が聞こえている。春の空気の中には夏の気配がほのかに混じっていて胸が締め付けられた。

どういったことが苦しいの?私は彼女に聞いてみる。
「わからないんだ。春の光とか、青空とか、新緑の芽吹きの気配とか、そういったものがなんだかもう、苦しくて苦しくて仕方がないんだ」
思いつめた瞳で彼女は私を睨みつける。私は思う、ああなんて美しい瞳なんだろうと。

うまくは言えないけど、そういう時の彼女は、苦しみによって作り出した美しい世界を差し出して、じっと私を見ているように見えた。まるで乞うような瞳で。
たまらなくなった私は世界の扉の全てをとじて、彼女の物語りに全身を委ねて共鳴するのだ。私の介入によってその世界は本物になる。やっぱり一人よりも二人の同意が必要なのだ。彼女がそこで思いきり遊んで、思いきり休めるように。

そうやって過ごす時間を私たちは心から愛していたと思う。
彼女は小さくて、白くて、華奢で、なんだかおもちゃみたいに美しい女の子だったので、いつも似合いの上級生の恋人がいた。
しかし私たちの間に流れていた親密な雰囲気には、彼女がよそ行き顔で恋人と作るそれよりも、ずっと愛の景色に酷似した気配があったのではないだろうか。

寮に帰ると私の部屋にはすでに彼女が待っていて、私の布団で寝ていたり、私の本を読んでいたりした。
そうやってしばらくの蜜月を過ごしていると、彼女は少しづつ元気になり、もう寮に帰っても部屋に彼女はおらず、二時間目の終わりに夕日を見に行く日々も静かに終わっていくのだ。

そんなことが一年のうちに一、二回はあった。

そして「苦しい季節」の期間外にいる彼女は、私を見ても他人のように遠くから笑いかけるだけだった。
私は保護施設じゃねえぞ、彼女の姿に毒づいてみるが、気まぐれに巡ってくるそんな日々や、気まぐれな猫みたいな彼女のことを、実のところ私はけっこう気に入っていたのだと思う。

バスに乗って、青く晴れた美しい季節を眺めていると、唐突に彼女との柔らかな時間が思い出された。もう随分むかしのことだ。
春だからだろうか。それとも今年の私がまるであの頃の彼女のように、春の美しさに少しも浮き足立てないからだろうか。

わからないんだ。春の光とか、青空とか、新緑の芽吹きの気配とか、そういったものがなんだかもう、苦しくて苦しくて仕方がないんだ。

私をじっと見つめて、そう言い放った彼女の姿を思い出す。
理由なんてわからない、しかし私はバスがどこにも着かなければいいと思っていた。このままどこかに逃げ出してしまいたい気持ちで、なんだか泣き出してしまいそうだった。

あの頃の彼女の苦しみは往々にして抽象的で、私の目には美しい芸術品のように見えていた。けしてそれに触れてはいけないような気がして、彼女の苦しみの具体的な理由に踏み込んだことはなかった。

しかし実際のところ彼女は、今の私と寸分違わず同じ気持ちだったはないだろうか。
彼女の苦しみの理由は、美しくもなければ芸術的でもなく、現実に即していて、具体的で、時に生々しくすら感じられるものだったのではないか。

きっと彼女はそれを真正面から認識するのが怖かったのだ。
見つめてしまったが最後、自分は本当に逃げ出してしまうのではないか、自分自身を保っていられないのではないか。
そんなことがもしも起きればどれだけの人が嘆き悲しむだろう、困るだろう、自分をなじるだろう。自分はなんとかここに踏み止まらなければならない。
そんなことを思っていたのだろう。
そうやって押し込めた思いが限界値を迎える頃、彼女は静かに私のそばにやってきていたのだろう。
自由奔放な猫のように見えた彼女は、実は真面目な努力家だったのだ。

何が苦しいのかは分からない、でも何かが苦しくて仕方がない。それをうまく言葉にして話すことはできないが、その苦しみは美しいはずの春を確実に曇らせていく。それでもけして繰り返される毎日から逃げ出すことはできず、今日も明日も、私たちはなんとか1日を終えなければならない。

そんな彼女が私に差し出したあの世界は、間違いなく夢のように美しかった。私たちには多分たったひとつだけ共通点があったのだ。
信号が青に変わり、否応なく今日も1日は始まっていく。

どうか私たちの日々が、この春の光に溢れますように。 私たちが苦しみの根源を解放できますように。

彼女のことを祈ったのか、自分について祈ったのかも分からなかったが、そう心の中で唱えると何か強い感情が込み上げてきて、バスから降りた私はしばらくそこから動けなかった。